「幸福な家族は存在しない」


どうも、夫です。


僕は結婚してもうすぐ三年になります。この三年は妻との質の高い時間をお互いに積極的に持っていくことで、お互いに成長することができた三年でした。来月には家族が増えて三人になります。三人が共生して素晴らしい人生を編んでいくのだと思うと、いまからとてもわくわくします。

最近は「家族」についてよく考えます。とくに日本では「幸福な家族は存在しない」のではないかと思わされるような経験をすることがよくあります。今日はその経験を踏まえて、「家族」について書いていきたいと思います。


「家族」のイメージ
僕が生まれた頃、父は外で働き、母は家で育児と家事をしていました。週末は父と遊んだ記憶がほとんどなく、母と密な時間を過ごしたという体験もありません。自由奔放に生き、やがて10代には反抗期を迎えました。

家を出て客観的に両親という夫婦を見たとき、必ずしも他人に自慢したい夫婦関係だとは思いませんでした。父は一家の大黒柱としての威厳がありませんでしたし、母は酒が入るとすぐに父の愚痴をこぼしました(いまでもあまり変わっていません)。二人が口論になるとき、母が怒ったり泣いたりすれば父は完全に折れます。

「親」は「家族」の最初のイメージです。二人を見て、僕は父と母というものを学びました。そして思ったのは、子どものときにいっしょに過ごしてくれなかった父のようにはなりたくない、母のような狭い世界観の中でしか生きていない人とは結婚したくない、でした。僕は「親」という最初の「家族」を反面教師にして、自分の頭の中で「理想の家族像」をつくりあげました。


大学を卒業して、まわりに結婚をする人が増えるようになりました。ここ何年か結婚をしている友達の話を聞いてきましたが、不思議なほどに「結婚生活はとても楽しい」「結婚してよかった」という話を聞きません。たいてい結婚相手に対する不満か愚痴を耳にします。なかにはそういった生活を割り切っている人もいます。

僕の友達だけではなく、妻の友達にもそういう人たちはたくさんいると聞きます。テレビを見ていれば、あるママ友の会では旦那さんへの不満をお互いに吐き出し合うために集まるお母さんたちもいるそうです。表面的には仲の良さそうな夫婦も、裏では二人の関係にひびが入っていることもよくあります。

なぜこんなにも「幸福な家族」について聞くことが少ないんでしょうか?幸福な家庭を築くことは、本当に「馬の合う」相手、つまり運命の人と出会わないかぎり不可能なことなんでしょうか?ほんの一握りの幸運な人たちだけに許されたものなんでしょうか?


「幸福な家族」ということばを聞くと、なにを思いますか?僕はよくアメリカ人の家族を想像します。ある休日の昼下がりに、家のバックヤードにあるカウチに座って本を読んでいる父親。その近くでボール遊びをしている子どもたち。母親は焼きあがったクッキーと淹れたてのコーヒーをトレイに載せて運び、外に出て家族の名前を呼ぶ。息子は父に抱きつき、娘は母と談笑している。そんなイメージを持ちます。

日本人で「幸福な家族」というイメージが、僕の中にはなぜかありません。


「幸福な家族」になるのを妨げるもの
日本人の家族が「幸福な家族」になるのは無理だというのではありません。アメリカ人の家族がみんなこういった家族だというはずもありません。ただ、僕は小さい頃からどうしてまわりにはこんなにも「幸福な家族」がいないのだろうと不思議に思ってきました。

なにが私たちが「幸福な家族」になるのを妨げているんでしょうか?ここでそれをすべて書き出せば切りがありません。ですが、僕がもっとも大きな原因だと思うのは、だれもどのようにして家族を築くのか教えられてこなかったことだと思います。

僕の親も、僕の友達も、妻の友達も、社会のほとんどの人たちも、だれもどのようにして家族を築くのか教えられてきませんでした。だから家族にどのように接したらいいのか確信がない。自分なりの方法で接してもうまくいかない。結婚相手も子どもも思い通りにならない。どうすればいいのかわからない。

まわりの人を見てみると、みんなも自分と同じ問題を抱えている。自分ひとりだけがおかしいんじゃない。だから最終的には、問題を分かち合ってストレスを発散するか、この問題を持つことはしかたのないことだと割り切るのどちらかになる。問題を抱えながら保つ家族関係が普通になる。

お互いにどのように接したらいいのか確信のない両親を見て育つ子どもも、やがて結婚をするとどのように家族を築けばいいのか確信がない親になります。そのようにして、だれもが「幸福な家族」について望みは持ちつつも鈍痛のような負担を背負いながら家族をやっていく。

社会ではそれが一般になり、受け入れられるようになってしまったと思います。あるときにはこの問題を真剣に解決しようとすれば、笑う人だっていると思います。僕がいまここではっきりと大胆に宣言したいのは、「幸福な家族」について考えることは、素晴らしいことだということです。


互いに教え合う
「教えられてこなかった」と書いたからといって、僕が「その答え」を知っていると主張しているのではありません。僕は僕なりの答えを持っています。しかし、それはこのブログを読んでいるあなたの答えではないかもしれません。映画や小説の題材にたびたび取り上げられるように、問題を抱えた家族が美しさを持っていることだってあると思います。

僕が言いたいのは、日本では「幸福な家族」について考える機会がほとんどない、だからもっと自分の家族観について分かち合い、お互いに鼻で笑わず、互いに教え合うべきだということです。いまはブログやSNSを通していつでもどこでもお互いのことをシェアできる時代です。互いに教え合うのには恵まれた時代なのです。

私たちが「幸福な家族」を築くことを妨げているのは、幸福な家族とはなにかというのを教えられるのを拒む自分自身のプライドもあると思います。心をひらいて、幸福な家族について真剣に考える人たちの輪に入る人が多くなればなるほど、社会で幸福な家族について話すことも笑い種ではなくなっていきます。不満や愚痴ではなく、真剣な追究ができる社会になるかどうか、それはまずはあなたの勇気ある一歩からはじまります。


クリスチャン夫婦の場合
最後に、私たちクリスチャン夫婦についてふれたいと思います。結婚をして家族を築くとき、私たちがまず最初にしたことはそれまで見て聞いて知っていた「家族」のイメージを捨てたことです。

親を見て学んだ「家族」。友達やまわりの人たちから聞いた「家族」。テレビやSNSから情報を得る「家族」。そのどれをも、私たちは「家族」の正しいイメージとして受け入れず、拒否しました。代わりに、聖書から「家族」のイメージを練り直しました。

聖書が結婚についてどう言っているかは、ほかの記事で書いているのでぜひ読んでみてください。妻が書いたこの記事がとくに素晴らしいので、ぜひ読んでみてください。「クリスチャン夫婦ってクリスチャンでない夫婦とどう違うの?」

また私たちの家族形成のもっとも大きな影響になったのは、教会にいる先輩家族のみなさんです。このコミュニティ(幸福な家族について真剣に考える人たちの輪)を通して、私たちは互いに助け合い、支え合う関係のあるクリスチャンたちに家族についてたくさん教えられてきました。偶然ですが、その先輩家族の大部分の方たちはアメリカ人の家族です。

もちろん、最初からすべてがうまくいったわけではありません。過去のイメージに囚われていた最初の頃は、お互いが自分の願望を相手に押しつけて傷つけ合うこともありました。しかし神さまとの関係において自分自身をみつめ直し、聖書の「家族」のイメージを何度も何度も心に刷り込んでいくことで、私たちは次第に互いに愛し合い、尊敬し合い、喜び合える関係を築くことができるようになっていきました。

僕が最初に家族が増えることについて「わくわくしている」と書いたのは、この輪に新しくもうひとりの家族が加わるからです。彼は生まれたときから、「幸福な家族」について真剣に考えることは素晴らしいことだと知っている環境で育つことになります。家族の絆という喜びを分かち合える存在がひとつ増えるのです。これほど幸福なことはありません。


日本では、社会的な風潮で「幸福な家族」について真剣に考えることはダサかったり、笑い話だったり、つまらないことかもしれません。ですがそれは変えることができます。いつか私たちの子どもの、子どもの、さらにまたその子どもたちの代には、「幸福な家族」について考えることが素晴らしいことであるという風潮が生まれているかもしれません。街のカフェや学校では、そんなことについてまわりの人たちが話しているのを耳にするのが当たり前になっているかもしれません。


その流れを生み出すのは、いまを生きている私たちです。



Photo by Derek Owens on Unsplash

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