クリスチャン夫婦ってクリスチャンでない夫婦とどう違うの?


こんにちは、妻です。
最近はたくさんのことがあり時間がなく、久しぶりにブログを更新します。


その中でも今回は、よく聞かれる「クリスチャンの結婚は、クリスチャンでない人たちの結婚とどう違うの?」について少し自分なりにまとめて、残したいと思います。
まず、私は恋愛のエキスパートでも、結婚のプロでも何でもありません。また、クリスチャンの結婚以外が悪いと言いたいわけでもありません。ただ自分の体験を通して感じたことをここに綴ります。


この日本に、数少ないクリスチャンの中でも素晴らしい日本人クリスチャンの夫婦の方々がいて、私は二人をみる度にいつも「神様によって引き寄せられた二人は恵みに溢れているな」と心から感じます。聖書は結婚についてどのように書いてあるでしょうか?少しまとめます。


近年、晩婚化、結婚せずに子どもをパートナーと育てるといったことが増えて来ています。たくさんの人が「結婚」ということに大きな夢、希望、反対に絶望、プレッシャーを抱えて生きていると思います。「いつ結婚するのだろう」「運命の人は誰?」「結婚するならこんな人がいい...」晩婚化が進んでいると言われている中でも、恋愛コラムなどはたくさんの人たちが読み、助けとしているので、社会が恋愛、結婚に対して何らかの興味を示しているのは確かです。



まずみなさんは、「結婚」とはどういった意味を持っていると思いますか?

なんのために結婚するのですか?自分の幸せのためですか?相手のためですか?たくさんの理由があると思います。




その中でも聖書は結婚についてたくさんのことを記しています。それはとても美しく、人間をデザインされた神だからこそ「あー、その通りやなぁ。」と私たちが納得できることがたくさんあります。


新約聖書の中のエペソ人への手紙で、使徒パウロは結婚は神によって制定されたこと、そして結婚は福音を反映するように構成されていることについて書いてあります。
結婚は福音を反映する=結婚は神と私たちの関係のようであると考えます。


5:22妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。 5:23なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。 5:24教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。 5:25夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。 5:26キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 5:27ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、きよく傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 5:28そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。 5:29だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。 5:30私たちはキリストのからだの部分だからです。 5:31「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」 5:32この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。 5:33それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。


ここで私が鳥肌が立つほどにびっくりしたのは、「夫は妻を愛しなさい。」「妻は夫を敬いなさい」と書かれてあったことです。
神は女性を「愛されたい」と思うようにデザインされ、男性を「敬われたい」と思うようにデザインして造られたのです。ですので、女性は男性を敬い、そして男性は女性を愛しなさい、と書かれてあります。神がどのように私たちをデザインされたのかを知ることは、私たち人間を知る上で一番大切なことだとここを読んだ時に思いました。


クリスチャンは結婚生活を自分自身、相手の「幸せ」のためにするのではなく、「神様のために、愛するパートナーと共に支え合って、愛し合って生きる」ためにするものだと思います。全てが「自己中心的」に考えてしまう世の中も、結婚自体への考えが自己中心的にならないのがクリスチャンの結婚の美しいところだなと思います。



ここから大まかにどこが違うのか、書き出していきます。


   1. 結婚の目的が違う

先ほども軽く話しましたが、クリスチャンは自分自身、または相手のために結婚をしません。神の栄光を表すためです。その目的が違うと、大きく違ったものになります。
例えば、クリスチャンでない人たちは「幸せ」のために結婚をした時、何か結婚生活内で失敗したり、相手への愛が冷める時があれば、どうしますか?距離をおきますか?離れますか?ラブラブな関係というのは悲しいことにいつか終わりがやってくると思います。お互いの負い目を見た時、完璧だと思っていた相手にがっかりした時、この結婚の目的が大きく崩れてしまいます。ですがクリスチャンは、神様の愛を見た時にまずは自分から「変わりたい!」と思い、変えられるのです。そういった、まずは自分から「変わりたい!」という同じ目的を持った同士の結婚生活は、お互いに支え合い、仕え合うことができます。これは夫婦関係だけでなく、周りの人との関係にも良い結果を生み出します。



   2.  赦しあえる、祈りあえる

これは本当に日々実感することです。夫婦内での衝突は必ず起きます。たくさんの種類の衝突がありますが、その中でも私は、育てられて来た環境の違い、価値観の違い、物事の考え方の違い、性格の違い、あらゆる面の「違い」から結婚して1つになった今、どうするの?といったことに衝突が多く現れると思います。結婚して一番したくないことは、なんといっても「喧嘩・口論・ぶつかり合い」ですよね。ですが私たち1人1人がPerfect humanでないので、避けては通れない道です。
クリスチャンは人間が「罪人=完璧ではない」ことを知っています。それを認識するところから始まることで、衝突した際に心の中にある「私が正しい」「私の意見がしっかりと認識されたい」「話し合いたくない」「平和で終わりたい」といった自己中心的な考えを無くされます。聖書的な衝突から最終的な宿るものは相手への「赦し」の心です。口論はもちろんクリスチャンにもあります。ですがそれを通してお互いをもっと愛し合うことができ、そしてそのぶつかり合いによって生まれた「罪」に対して一緒に祈ることができます。一緒に成長していこうと思えるのです。本当にここが大きな恵みです。
衝突という最悪、辛いと思えるシチュエーションの中でもクリスチャンは選択1つで衝突や試練を「喜び」と感じることができます。これはクリスチャンの結婚生活の美しいところの1つだと思います。



   3. 常に愛するとはどういうことかを考える

日本人として私は「好きになること」は考えたことはあったとしても、「愛すること」をクリスチャンになるまで考えたことはありませんでした。第一、欧米では ”I love you" と言うのが当たり前でしょ!と思っていてもそれを日本語で「愛してる」なんて言うと気持ち悪くてなんか重い。なんて思っていました。実際旦那に会うまでは彼氏と半年以上続いた記憶はないし、つねに恋愛に恋愛をしていた私でしたので、いま結婚2年目を迎えようとしているのは神様の力以外に何もありません。(笑)

人を愛するのは私たちが一生涯かけて学んでいくことだと思います。ある人は「嫌いな人がいたら、離れたらいい」「関係切ったらいい」なんて思う人も少なくないと思います。ですがクリスチャンは常に「愛するとはどういうことか」を神様という素晴らしいお手本から学ぶ機会があります。結婚生活では、クリスチャンはお互いを見つめ合い、"Christlikeness" (キリストのようになること)を学んでいきます。
かっこいい夫、子育てのできる夫、家事のできる夫、優しい夫、ここが好き!!愛してる!!って言えるのにふさわしい夫であってほしい!常に磨き続けてほしい!と妻が思い続ける結婚生活ほど辛いものはないと思います。これらは全て、そうできなければ気持ちを色褪せさせてしまうものばかりです。
そういったもの全てを超えて「愛する、究極的な愛」について私たちは夫婦間を通して学び続けます。それがあるのはクリスチャンとクリスチャンでない夫婦の大きな結婚生活の違いかな、と思います。


このほかにも、

   4. 聖書を共に学び、お互いを、結婚生活を強め合うことができる
   5. 同じ喜びを分かち合える
   6. お金の使い道が違う



などありますが、ちょっと疲れたのでここまでにしておきます。


なにかグッとくるものはありましたか?結婚されている方々は何を思いましたか?結婚は神様がデザインされた、本当に素晴らしいものです。それが人間によって壊されず、このライフイベントを通して、「喜び」に感じられる人たちが増えますように、祈ります。





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