なぜ結婚について書くのか

夫です。
2020年明けましておめでとうございます。今年もこの結婚ブログを読んでいただきありがとうございます。
今日は一年で最初の投稿ということで、私たち夫婦が「なぜ結婚についてブログを書いているのか?」について書きたいと思います。
日本の結婚の現状
まず最初に私たちが結婚について書きたいと思った理由は、結婚というものは素晴らしいもので、自分の好みや夢、理想を犠牲にする価値さえあるものだと伝いたいということです。そう思うようになったのは、結婚について前向きな人がまわりには思っている以上に少ないと感じたからです。今回の記事を書くにあたって内閣府が発表している未婚率を調べてみました。未婚率がもっとも低かった(結婚している人の割合がもっとも多かった)1972年と2015年を比べたデータです。

男性・女性ともに1972年から2015年に大幅に未婚率が上昇しています。昔はお見合い結婚がいまよりも頻繁に行なわれていたり、二十代を過ぎても結婚をしていないことは社会的に恥ずかしいと見られていたなど、さまざまな要因があったのかもしれません。未婚率が上がったからといって必ずしもなにか具体的な要因について明らかになるわけではありませんが、少なくとも現在は40年前よりは「30歳を過ぎてから結婚を考えても遅くない」という結婚観が広がっている表れなのではないかなと思います。
このような兆候を社会的背景に、私個人でまわりの人たちの結婚に対する意見を聞いてみると、やはり結婚よりは自分のやりたいことや好みを大切にしている人が多いように感じます。「若いうちに好きなことをしておきたい」「あせって結婚するよりは、もっと理想に近い人との出会いを探したい」私はそういった人たちを批判をするつもりはありません。人にはそれぞれ巡り合わせがあります。いつ・だれと・どのように結婚するかはその人の自由です。
ですが、たとえば自分の好み(相性ではなく)、やりたいこと、夢、理想、仕事の出世など、そういったものを優先して結婚を後回しに考えている人には、結婚というものの素晴らしさを知り、積極的に結婚について考えていってもらいたいと思っています。なぜ結婚が素晴らしいのか、積極的に求めていくべきなのかは、あとで書きたいと思います。
子どもへの影響
私たちが結婚について書きたいと思った理由の二つ目は、子どもです。子どもは社会の中で独立していません。必ず家族の中に組み込まれています。つまり、必ず親の影響を受けて育っているということです。どれだけ表面上は仲が良さそうな夫婦でも、家では口論や衝突が多いのであれば、子どもは必ずその影響を受けます。そしてそれがその子の性格を形成するようになり、その子は結婚をしたときにそのまま自分の家族の文化を家庭に持ち込むようになるのです。私は個人の好みや自己中心性が強くなった現代社会の中で、子どもは親のエゴにふり回されているように感じます。極端な例では、親が子を殺すような異常な事件も起こっています。子どもはみずからの意思で悪にはなりません。どんなときも社会の影響を受けて悪に染められていきます。子どもにとって最小単位の社会である両親がまず最初に変わるなら、そのまわりの社会がどのようなものであれ、その子どもは次の世代に悪を引き継がないまっすぐな子どもに成長します。親が変われば子どもたちが変わり、その子どもたちが大人になって、社会は変わっていきます。
だからこそ私たちは夫婦の関係について書くことは大切だと信じています。
結婚の素晴らしさ
親がまず最初に変わるためには、「結婚は素晴らしいものである」という確信が必要です。「素晴らしい」というのは、理想的な相手と結婚できたらとか、そういった条件付きでの意味ではありません。すべての結婚は平等に素晴らしいものです。その理由のひとつが、結婚生活を通して細かい点まで自分の欠点に気づくことができるということが挙げられます。多くの人は自分の弱さや恥を、プライドという覆いで隠します。とくに現代では、自分の好みや理想を優先することが当たり前で、自分の欠点を看過することが普通になっているように思います。宝石の原石を思い浮かべてください。岩の破片がこびりついて、荒々しい原石です。いま二つの原石が隣り合って置かれています。本来であれば結婚というものは、お互いを(ゆっくりと、あるいは激しく)削り合いながらそれぞれのかがやきを見出していくものです。もし原石のまま、「相手は私の好みや理想を理解してくれない」と言うのなら、あなたは永遠に結婚を通して本来の自分のかがやきをみつけ出すことはできません。
ニューヨークにある教会の有名な牧師であるTim Kellerは著書「結婚の意味(The Meaning of Marriage)」で次のように書いています。「輝かしい瞬間もあれば、難しい時期もあり、燃え上がる喜びと力の源でありながら、血と汗と涙の結晶でもあり、屈辱的な敗北や、勝利しても疲労困憊するようなもの、それが結婚です。」理想を求め、自分の欲求を満たすためだけに結婚を利用しようとするなら、あなたは必ず裏切られ、幻滅して終わります。
家族文化のまったく異なる二人がひとつの家庭を築くのです。簡単なはずがありません。「家」という自分の神聖で快適な領域に別の人間が入ってくるということは、自分の欠点がさらけ出されることを許し、それを素直に受け入れ、パートナーと共に成長するための避けられない機会です。それが素直にできず、意地を張って自分の思い通りに動かない相手を責めつづけるなら、結婚は死ぬまで苦しい関係です。しかし好みや理想以上にパートナーとしっかり向き合い、共に助け合い、共に変わっていくことが良いことだと確信するなら、結婚は素晴らしいものです。
結婚が素晴らしい理由としてもうひとつ挙げられるのは、人を愛することの美しさを知ることができるということです。自己中心的な人にとって、パートナーにモノ、時間、思い、肉体をささげることは敬遠したいことかもしれません。しかし聖書では、自分のすべてをパートナーにささげることが結婚の本質だと言っています。
妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、
自分の夫に従いなさい。
(…)
夫たちよ。キリストが教会を愛し、
教会のためにご自身をささげられたように、
あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
(エペソ人への手紙5章22,25節)
どちらか一方が自己中心的にわがままにふるまうなら、結婚はどちらかに大きな負担を強います。しかし夫が家長としての権威をふり回さず、イエス・キリストが全人類の罪のために十字架でいのちをささげてくださったように、自分のいのちを差し出すほど自分自身を妻にささげ、一方で妻が夫に従順に従うなら、私たちは愛することの美しさを知ることができます。
聖書を信じていない人にはこれは難解で、時代遅れにさえ思えるかもしれません。聖書には結婚について非常に深く書かれています。「神学的な」側面については、このブログでは書いていきませんが、聖書が表しているように、結婚は人間がつくり出した制度ではなく、創造のはじめから神が定められた深遠な関係であることを信じるなら、私たちは自分たちの結婚について聖書から多くを学ぶことができます。
私たち夫婦はクリスチャンです。聖書に書かれていることを信じています。私たち夫婦が書くことは表面的な内容のものばかりですが、奥底で信じている信念からにじみ出た確信によって実践していることです。ある実践には、あなたの信念を変えなければ実践することができないものもあると思います。そしてそのようにしてあなたが変えられていくことが、このブログを書いているひとつの理由でもあります。
すべては結婚を中心にして回る
独身のとき、あなたの人生の中心はあなたです。ですが結婚をした瞬間、あなたはもはやあなただけの人生を生きていません。パートナーと協力し、お互いに理解しようと努め、相手に自分をささげることを通して、二人を中心にした人生を歩むことになるのです。あなたの好みや理想、夢といったものは大切なものです。しかし結婚を通して知ることができる素晴らしさには敵いません。あなたの好みや理想は、あなたが年を取れば、あるいは結婚を通して変わっていけば、自然と変わっていきます。しかし人を愛することの美しさは永遠に変わりません。あなたは原石から美しい宝石になるとき、その素晴らしさの価値を理解することができます。
また、結婚を優先して、そのあとにパートナーと共に理想や夢を追いかけることは、より険しく長い道のりになるかもしれませんが、自分の成長によってより研ぎ澄まされ、素晴らしい、達成感のあるものになるかもしれません。自分を深く知り、愛してくれるパートナーと共になにかを成し遂げることは、大きな生きがいになります。
好みや理想、夢といったものが夫婦を中心に回るべきであるように、子どももまた夫婦を中心にして回るべきです。美しい宝石のようなかがやきを放つ両親から、子どもは多くを学びます。そして人としての生き方について本質を知っている子どもに育ちます。このブログでは、私たちが子どもを通して学んでいる夫婦関係についてもときどき書いていきたいと思います。
長くなりましたが、以上が私たち夫婦が結婚についてブログを書いている理由です。みなさんはどう思いましたか?
コメント
コメントを投稿