結婚についてのメッセージ at International Gospel Cafe


ゴスペルカフェで話した原稿をそのままここに投稿しておきます!
たくさんの人に読みたい〜!と声をかけてもらえたので、嬉しいです!どうかみなさんの励ましとなりますように。




みなさん、こんばんは!わたしはこの教会のスタッフをしています、たるいさりです。今日は「結婚」について話したいと思います。おそらくほとんどの方が一度は「結婚」を考えたことがあると思います。この中で結婚されている人はどれくらいいますか?ありがとうございます。それでは、まずはみなさんに質問をして始めたいと思います。


ディスカッション
  1. あなたは結婚にどのようなことを求めますか?
  2. 結婚への理想はありますか?


それでは3分間時間を取ります、各テーブルで話し合ってみてください。

テスティモニー


いろいろな意見がでましたね。それでは少し、私自身についての話をしたいと思います。



わたしは独身の頃「いつかは結婚したいな」と思っていました。憧れの芸能人のように、いつか家族をもって、マイホームを買って、幸せになりたい!という理想は常にありました。いつかはわからないけど、みんなまわりは結婚できてるし、、、わたしもいつかするでしょ!というなんの根拠もない自信が10代の頃はありました。その反面、過去のお付き合いの関係は、半年以上続いたことがなく、結婚なんてできるのかなと、生涯をかけて1人の人を愛し続けることへの不安がありました。

いつまでもキレイでいなければ、うまく家事をこなさなければ、いつまでも相手を特別に感じさせることができなければ、相手を失望されたり、愛が冷めてしまうのではないかと思うと、結婚ということに『自由を奪うしばり』のような不安を感じる事もありました。

でもそんな完璧にこなす事は人間不可能だし、欠けた部分でさえ愛してくれる人を探せばいいけれど、果たしてそんな人にどこで出会えるのかな…と思いました。そして年をとるにつれ、周りの友達が結婚していき、結婚願望と理想が増し、私はいつしか結婚に、自分の存在価値を求めていました。わたしには価値があると言って欲しい、わたしがキレイだと言って欲しい、愛していると言って欲しい。それが結婚生活にあれば幸せだなと感じられる、と思っていました。




わたしは約5年前、この教会である男性と出会いました。私たちは最初から惹かれあっていたわけではありませんが、3年後、彼からの猛アプローチがあり、5ヶ月のお付き合いの末、結婚することになりました。

結果から言うと、クリスチャンの結婚生活は、わたしが描いていた「結婚に求めるもの」や「理想」とは全く違ったものでした。自分が想像できる以上に愛するとは簡単ではなく、でもとても素晴らしいものだと気付かされるものでした。

もちろん、全てがうまくいき、毎日がバラ色のような結婚生活を送っているわけではありません。泥沼の状況があったり、もう無理かもしれないと思ったことが幾度かあります。自分の感情を理解して欲しくて感情が爆発してしまったりしたこともありましたし、彼のことを心から愛しているはずなのに、愛することがとても困難だと感じることもあります。

ですがこの約3年がもうすぐ過ぎようとしているなかで、私が強く思うのは、結婚とは、『相手を愛するために、どのように自分自身を相手に捧げ、犠牲にできるか』だと思います。そしてこれは、わたしが聖書から学んだことです。新約聖書のエペソ人への手紙5章にはこう書いてあります。

5:22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。 5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。 5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。 5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。 5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 5:27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、きよく傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 5:28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。

この聖句を読んで、みなさんはどのように感じますか?「難しいでしょ!」と反発的に感じたのが、私が初めて読んだ時の第一印象でした。エペソ人の手紙を書いた使徒パウロはここで、「妻は夫に従い、夫は妻を愛しなさい」と言っています。『従う』とは相手のなすがままになることを意味しているわけではありません。妻はキリストにあって夫のリーダーシップに喜んで従うことを意味していて、夫は妻を思いやるために自分の関心ごとをわきへやることを意味しています。

クリスチャンは、これが命令だからという理由だけで従うのではありません。ピリピ人への手紙2章に、イエス・キリストが自分を無にして、自分の意思を父なる神に従わせる様子が描かれてあります。そして最後に、イエスがそうする理由が書かれています。 

2:10それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、2:11(……)父なる神がほめたたえられるためです。

キリストがご自身の父である神に従われたゆえに、わたしたちもキリストの模範に従うことで父なる神をほめたたえることができます。クリスチャンは、キリストが模範を示してくださったから、結婚生活で与えられている命令にも従いたいと思うようになるのです。

ここに、「ただの命令だから従う」というのとは大きく違う動機があります。クリスチャンは、結婚は神様が造られた素晴らしい関係であり、結婚生活を通して神様をあがめるための関係だと考えます。神様は二人の中心にいて、私たちに聖書を通してどのようにパートナーを愛する事ができるかを教えてくれています。




これはクリスチャンの結婚関係を表している有名な図です。日本語で訳すと、すこしややこしく聞こえますが…この図にあるように、夫と妻が神様を知り、神様に近づけば近づくほど、お互いの関係も近くなるということです。気分や好き嫌いで変えたりする神ではなく、神様はずっと変わりません。その神様を結婚生活の中で知り続けること、選び続けることで、私たちの結婚生活は大きく影響されていきます。

1つだけ、最近起きた出来事をシェアしたいと思います。夫がある日、ある買い物をしてきてほしいと、お願いしてきました。わたしはその日、仕事が休みだったので快く受け、その日の夕方から2人一緒に出かける予定があったので、それまでに1日の中でいつか買いに行こう~と思っていました。ですが私は怠惰に負けてしまい、結局家をでる5分前に走って電車に間に合うように買いに行く!!と妊婦であるにもかかわらず無理なプランを立てていました。結局そのプランが叶うはずもなく、結局、夫が走って買いに行き、わたしは乗る予定だった電車に座り、彼が来るのを電車の中で待っていました。彼は電車にギリギリ間に合いました。全速力で走って肩で息をする彼を見て、私の心の中はもう罪悪感でいっぱい。わたしはどう謝ろうかとずっと考えていました。「ごめんね」と伝えると、彼が言った一言目は笑顔で「いいよ!間に合ってよかったわ!」でした。彼はここで、「たった1つだけ、朝から頼んでいたことなのになんでできないの?」と怒りを選択することもできました。ですが彼は私を許し、愛する方を選んでくれました。それを経験したわたしは、自分のしたこと、怠惰を深く反省することができました。もし彼がふてくされて「なんで頼んだ1つのこともできないの」と言っていたとしたら、わたしはきっと「妊婦やし!疲れてたし!」と彼を責めていたいと思います。彼がキリストの愛を、自分の感情以上に妻を愛するということを行動を通して示してくれたので、私は自分自身を見直すことができました。

わたし達は神様なしでは、いまの結婚生活はないと思います。わたしの経験、考え、理想を超えて、結婚を造られた創造主である神様を、聖書を通して知り、信じて従う事によって、今私はここにいて、「結婚は素晴らしい」と心から言えます。私たちが相手から献身されることに喜びを感じるのではなく、献身することに喜びを感じ、夫婦がお互いに捧げ合い、愛し合い、尊敬し合い、一致するための行動を常に選ぶことは、神様が造られた素晴らしい結婚の形だと思います。

最後に皆さんに、これらの質問をしたいと思います。

  1. あなたの思う結婚とクリスチャンの結婚に違いは何かありますか?
  2. クリスチャンの考える結婚について、今後自分たちが取り入れたい、変えていきたいと感じたことなどはありますか?
  3. クリスチャンの考える結婚を聞いて、あなたの結婚への理想に変化はありましたか?

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