アーティスティックな結婚


どうも、夫です。


今日はいつもとちょっと視点を変えて結婚について考えていきたいと思います。

だれでも自分の人生が楽しくて幸せなものになるように望みますよね。人生がつまならくて崩壊しているのを望む人には、私はいままで出会ったことがありません。この世に生まれてきたかぎりには、ドラマチックな人生を送りたい、楽な人生を送りたい、人に囲まれた人生を送りたい、ロマンチックな人生を送りたい。それが私たち人間です。

アーティスティックな人生

あるウェブサイトで著名人たちがあるトピックについて議論するコンテンツ動画を観ていました。その動画ではビジネスは芸術(アート)みたいなもので、ビジネスはモノ(商品、サービス)を通して社会に一種の表現をしているという旨のことを話していました。

その動画を観終わったあと、ふと人生もまた芸術なんじゃないかなと思いました。私たちはこの世に生まれ、さまざまな出来事を経て、最後にはこの世を去っていきます。生きているあいだに私たちはこの世界に対して苦悩や喜びを刻み、「私の人生」というひとつの作品を作り上げていきます。

絵画や写真、音楽といったはっきりとしたカタチとは別に、人生の主役である私たちは自分自身の人生についていつでも作品をふり返ることができます。必死に生きて、生きて、考えをひねり出すように生きる道のりこそが、私たちの人生という作品そのものです。

「正解」の決まっていた人生

少し前までは、人生の生き方というのは定型(決まったカタチ)がありました。つまり学校で優秀な成績を修め、有名な大学に進学し、大手企業に就職し、結婚し、家庭を持ち、マイホームやマイカーを持ち、定年退職し、平和に老後を過ごす、といった生き方です。いまでもこれが「正解」の生き方だと考える人は少なくないかもしれません。「勝ち組」や「リア充」という言葉は、そういった「正解」の生き方があることを裏づけている証拠かもしれません。

ですがそういった「芸術」は、少しずつ価値がなくなってきているように思います。学校が嫌で不登校になっても自分ではじめたビジネスが成功する人もいれば、独身で暮らしながらさまざまなコミュニティに自分の居場所を見出して生きている人もいます。「これが正解の生き方」というのが薄れ、それぞれの人がそれぞれの生き方に価値を見出していく時代になりました。カタにはまらない生き方が受け入れられるようになってきたのです。

カタにはまらない生き方が受け入れられるようになってきたということは、つまり自分の好みに合った生き方ができるようになってきたということです。これまでの時代は私たちから定型化した正解の人生に当てはまることが価値のある生き方でした。これからは私たちの好みに当てはまる人生を選択できる生き方に価値がある時代です。

そんな中で恋愛や結婚もカタチを変えてきています。いまではアプリを通して恋人と出会う人は少なくありませんし、同性の結婚を認める街も世界には出てくるようになりました。ありのままの自分に権利があり、そんな自分が生きやすくなるように社会が変わってきているのです。

ですが恋愛や結婚は実際のところ、自分の好みに合わせることで本当に価値のあるものになるんでしょうか?自分に合う理想の相手がみつかれば幸せになれるんでしょうか?自分の好みにカスタマイズされた恋愛や結婚は、本当の幸せを生み出すんでしょうか?

アーティステックな結婚

いつの時代でも結婚というのはその辺のデパートで買える商品のようなものではありません。商品が自分を楽しませてくれる、喜ばせてくれると考えるのと同じように結婚を考えているなら、その結婚が成功することは難しいでしょう。

なぜならそのように考えている人同士が結婚するなら結婚は成り立たないからです。天秤のように、あなたが自分の好きなようにしたいならパートナーはその分「重り」となるものを反対側で負担しなければならないからです。あるいはその「重り」をたくさん背負ってくれるパートナーをみつけてバランスが取れればそれは良い結婚でしょう。しかしあなたの生活のすべての面で完璧に「重り」を背負ってくれる人なんてこの世にいるでしょうか?

あなたが結婚をしていても自分の時間・お金・生活を自由に扱いたいなら、あなたに結婚は必要ないかもしれません。なぜなら、結婚というのは結婚相手と共有・共同・共感して育まれていくものだからです。それを大切に思っていないなら、あなたの結婚は必ずどこかで不具合が起きます。

クリスチャンは結婚をどのように考えるんでしょうか?細かいことを言えば切りがありませんが、クリスチャンの結婚観の核となっているのは「相手に仕えること」です。簡単に言うと、「つねに相手の必要を満たす」ということです。

でもそれって相手が同じじゃなかったらフェアじゃない!と思うかもしれません。そうです。フェアじゃありません。結婚はそもそもフェアな関係ではありません。互いを補い合ってバランスを保つ関係です。バランスが崩れたときには、相手がどうであれ相手に仕えることによってバランスを戻そうとすることが重要です。

そしてクリスチャンの夫婦が「相手に仕えること」の意義をお互いに理解するとき、相手を搾取する(利用する)関係というのは生まれません。聖書は結婚がそのように成立するとき、結婚の本質と美しさがあると言っています。

「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
この奥義は偉大です。(エペソ5:31-32)

「相手に仕えること」の素晴らしさを知るためには、神さまを知ることがもっとも重要なことですが、これについては後ほど書きます。ここではクリスチャンの夫婦は「相手に仕えること」で、結婚の本質を味わうことができ、そこに喜びや幸福をみつけることができるようになるという点を強調したいと思います。

妻(夫)が自分を必要としているとき、
友達と遊ぶ約束をキャンセルしなければいけないのか?

はい、そうです。
変えのきく友達とちがって、結婚相手は変えがききません。

妻(夫)が自分を必要としているとき、
仕事を切り上げて帰宅すべきなのか?

はい、そうです。
変えのきく仕事とちがって、結婚相手は変えがききません。

妻(夫)が自分を必要としているとき、
自分の趣味をあきらめなければならないのか?

はい、そうです。
趣味はそれが共通するものでなければ、ひとつの心しか満たしません。

妻(夫)が自分を必要としているとき、
自分はライフスタイルを変えるべきなのか?

はい、そうです。
自分中心ではなく、相手中心になってこそ結婚の本質です。

「これが結婚なら、私は結婚したくない」という人もいるかもしれません。実際のところ、結婚が自分の望みを叶えずむしろ妨げることに気づいた人たちは結婚することを躊躇するようになってきています。そういった人は、仕えるという「犠牲」によって人を愛することの喜びの偉大さを知らないかもしれません。

あなたは自分の好きなように生きて「仕えられる」だけの結婚生活をアーティスティックな結婚だと思いますか?それとも、自分の好みを犠牲にしてでも相手に「仕える」結婚生活をアーティスティックな結婚だと思いますか?

結婚の本質が「相手に仕えること」であると信じないなら、別のところに喜びや幸せを見出さなければなりません。しかし「結婚」という夫婦のつながりにおいて、互いに仕え合うという関係性以外に、私たちはなにに喜びや幸せを見出すべきなんでしょうか?

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。(…)
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、
あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。(エペソ5:22,25)

信仰というアーティスティックな生き方

最後に、なぜクリスチャンは相手に仕えることが素晴らしいことだと思えるのかについて書きたいと思います。

そもそも人はなぜ結婚するんでしょうか?
ひとりだと寂しいからでしょうか?結婚相手という存在が光かがやいてみえるからでしょうか?なにか自分の利益になることを相手が与えてくれるからでしょうか?

クリスチャンは結婚を神さまが与えてくださるものだと考えます。結婚相手は神さまがみちびいてくださった相手だと信じ、自分の必要を満たしてくれる相手ではなく共に仕え合うことで神さまの素晴らしさをいっしょに発掘していくパートナーだと考えます(なので聖書はクリスチャンでない相手と結婚することを推奨しません)。

クリスチャンは結婚相手を通して自分の自己中心さ(わがまま、必要を満たされたい欲)を目の当たりにします。日々の生活の中にいくつもの衝突の機会が隠れていて、それが出てくるたびにどれほど自分が「相手に仕えること」ができない人間かを学んでいきます。そしてそれを乗り越えるために自分を何度も犠牲にして、相手に仕えていきます。

なぜならそれがもっとも素晴らしいことで、その先にこそ喜びや幸せがあると神さまが聖書を通して教えてくださっているからです。もしそれを信じることができなければ、結婚を通して自分を犠牲にして生きることはただの苦痛です。結婚は、神さまのことばをより深く信じていく過程でもあります。そして私たちは自分自身を犠牲にしていくほど、真実の愛とはなにかを理解していくことができるようになっていきます

これこそが信仰という生き方です。自分の好きなことはできないかもしれません。自分の望む通りにいかないことがたくさんあるかもしれません。それでも相手に仕えることを通して相手の必要が満たされることによって自分自身が満たされること、これこそがです。二人が神さまのことばを信じ、この愛の中で一致するとき、私たちは結婚の本当の意味をみつけることができます。これをアーティスティックな生き方だと思うかどうかは、あなたが神さまのことばを信じるかどうかです。

信仰とは、つねに自分を変える勇気を持つことでもあります。人生からさまざまな影響を受けることを許し、結婚相手を通して神さまにかたちを変えられていく。そのようにして、あなたの人生は神さまにかたどられた美しい芸術的な作品になっていきます。

結婚はその過程を促す、とても素晴らしく尊いものです。


Photo by Ryan Stefan on Unsplash

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