「自分を知ること」:結婚生活の秘訣

みなさんは「自分のこと」をどれくらい知っていますか?恋人や結婚パートナー、あるいは友達を想定して、「相手のこと」をどれくらい知っていますか?
今日は「自分のこと」を知ることで、結婚関係がより良い方向に進むことについて書きたいと思います。結婚だけじゃなく、人間関係の根本に関わることなので、ぜひ人間関係全般について考えている人も読んでみてください^^
だれにでも「個」がある
人には必ず「個」があります。楽しいと思うアクティビティ、愛されていると感じる方法、衝突時の反応や対応の仕方。それはすべて「個」から来ています。例えば、私(夫)が「楽しいと思うアクティビティ」は読書、ジャーナリング、小説を書くこと、ギターを弾くことなどです。そして妻から「愛されていると感じる方法」はご飯をつくってくれたり、掃除・洗濯などの家事を共同でしてくれたり、生活を支えてくれる奉仕的な愛を受けるときです。「衝突時」には基本的に論理的な物言いで打ち勝とうとします。感情的な話し合いになれば、面倒になって無言になります。
ところで私の妻が「楽しいと思うアクティビティ」は外に出てわいわいカラオケに行ったりおしゃべりしたりすることです(結婚してからは少なくなりましたが)。妻が「愛されていると感じる方法」はボディタッチ、夫からの注目、やさしい言葉をかけられることなどです。「衝突時」には問題が解決するまで絶対に話し合いを終わらせません。これが彼女の「個」です。
この二つの相対しているようにみえる「個」が同じ屋根の下でど共存できるのか?今日はこういった「個」は必ず幼少期・少年(少女)期の環境に深く関わっていることを見ていきたいと思います。
過去をふりかえる
ちょっとダークな話になってしまいますが、私(夫)は小学六年生のときにいじめに遭いました。勇気を出して母親にいじめを打ち明けましたが、結局具体的な助けはなにもないまま日常は過ぎていきました。中学校ではいじめられないために、心を痛めながらいじめる側にいました。高校では友達の話があまりにもつまらなくてついていけなくて、孤独な高校生活を送りました。その頃から熱心に自分のしたいことを追求するようになり、アコースティック・ギターを弾くようになり、大学では軽音サークルに入りました。人間関係をあまり重視せず、熱く生きていたので、大学のサークルでも遠巻きにされていました。そんな10代を過ごしたので他人に信頼できる人がおらず、つねに自己と対峙することによって成長し、生きてきました。読書、ジャーナリング、小説を書くこと、ギターを弾くことが「楽しいと思うアクティビティ」なのは、それが自分の喜びにつながり、面倒な人間関係を伴わないからです。
ご飯をつくってくれたり、掃除・洗濯などの家事を共同でしてくれたり、生活を支えてくれる奉仕的な愛を与えられるときに「愛されていると感じる」のは、ひとりで生きてきた自分を陰ながら支えられることがうれしいと思うからです。
「衝突時」に基本的に論理的な物言いで打ち勝とうとしたり、感情的な話し合いになれば面倒になって無言になるのは、「自分が孤独に生きてきた人生はまちがっていない」と承認してくれたのは自分の理性だけで、冷静に話し合いのできない相手がいればその人を見下すからです。
私は自分の「個」がまちがいだとは思いません。ですが、このようにして私の「個」は形成されました。
自分を知ること
「個」は環境によってかたちづくられます。そして「結婚」というのは、この「個」がまったくべつの「個」と出会い、結びつき合う場です。先ほど妻の個性を挙げましたが、客観的に見て私たち夫婦には個性の面で共通するところはあまりありません。個性がちがいが多いということは、ぶつかり合う可能性が高くなるということです。
いまの時代、「ぶつかり合う可能性が高い」ということは、「二人は合わない」という意味だと考える人が多いと思います。ゆとり世代だとかなんとか言われていますが、なんにせよ私たちは個性主義になっていて、「自分の個性を大切にすることは自分の権利だ」と主張する傾向にあります。なので性格が「合わない」から別れ、「合う」人がみつかるまで探します。
人間は、自分の「個」をとても大切にしたがる生き物です。
「ひとりでゆっくり本を読みたい」「静かに放っておいてほしい」「家事をやってほしい」「話し合いをするときは感情的にならないでほしい」という願いは、私の「個」の叫びです。この「個」を妻が尊重してくれない(あるいはそう思っていることにすら気づかない)ときは、怒りやいらだちがとてもわいてきます。ですが私はそのとき、明らかに忘れてしまっていることがあります。妻を愛するという結婚においてもっとも大切なことです。
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」
(エペソ人への手紙5:25)
結婚というのは、自分に利益をもたらしてくれる都合のいい相手といっしょに暮らすことではありません。それほど自分の個性を大事にしたいなら、結婚は不向きだと思います。結婚はそもそもそのようにデザインされたものではありません。
結婚というのは、「妻を愛する」という究極の目標のために、自分の「個」を妥協させる決心をもたらす関係です。
「妻を愛する」ために、自分の行動を変える必要があるなら変えなければいけません。
「妻を愛する」ために、自分の考えを変える必要があるなら変えなければいけません。
「妻を愛する」ために、自分の気持ちを変える必要があるなら変えなければいけません。
それが夫が背負う「役割」です。
「個」と「役割」
ひと昔前までは「役割」がとても重要な機能を果たしていました。結婚をすれば「夫」になり、子どもができれば「父」として家族を養う。父は会社で一所懸命働き、母は家を守る。それぞれの「役割」があり、「個」は簡単に妥協されていました。しかし時代は変わって、今度は反動のように反対側の個性主義へと引っ張られていきました。未婚率が上昇し、平均結婚年齢が上がっているのも個性主義が大きな原因になっているように思います。そういった時代で「自分の理想の結婚がしたい!」と考える人が増えているように思います。先ほども書きましたが、自分の「個」を大事にしてくれる、自分に利益をもたらしてくれる都合のいい相手がほしいのであれば、結婚は向いていないと思います。
ここで明確にしておきたいのは、「役割」のほうが「個」よりも重要だとか、「個」は完全に捨てなければいけないといったことではありません。大切なのは夫と妻がお互いに「役割」を熟知して、お互いの「個」を尊重し合うことです。
私が「ひとりの時間」をとても大切にしていることは、妻はよく知っています。ですが私自身も妻がかまってもらえることで「愛されている」と感じることを深く理解していなければいけません。「ひとりの時間」を邪魔されたと感じたとしても、妻を愛するために手をとめることもあります。あるいは集中が必要なときには、妻にきちんとそのことを伝えることで、妻はそれを尊重し、私の「ひとりの時間」を保つこともできます。
結婚してから夫として意図的にボディタッチをしたり、きちんと注意を向ける努力をするようになりました。衝突時にはいらだちに満ちた無言で話を終わらせようとするのではなく、根気強くあきらめず、きちんと向き合うようにするようになりました。もちろん結婚生活三年目で完璧とは言えませんが、少なからず結婚したばかりの当時よりは二人ともとても成長しました。
このように「自分を知ること」で、自分がどういった人間なのか、なにを大切に思っていて、なにに怒りを感じるのか、といったことがわかってきます。その「個」はとても大切なものです。ですが「個」を大事に守りすぎることで、本当に大事なことが見えなくなることがあります。結婚は「個」と「役割」のあいだにある本当に大事なことについて教えてくれます。それこそが愛です。
結婚は愛を学ぶことができる、とても素晴らしい関係です。「個」と「役割」のあいだにある愛をみつけられたとき、夫婦は本当の意味で幸福になることができるのだと思います。
Photo by Brooke Cagle on Unsplash
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