聖書を正確に読んでいますか?

こんにちは、夫です。
今日は「正確な聖書の読み方」のお話。
「聖書」と言うと人生の格言やタメになることが書かれてあると思う人がいるかもしれません。たしかに、それは真実です。ですが聖書が存在する目的は、その人生の格言やタメになることによって、あなたが自己啓発的により良い人生を送れるようになることではありません。
聖書の目的は、私たち人間が神を知ることです。そして神が私たちにしてくださったこと・いまもしてくださっていることを知り、神がどういった方か(人格、性格、性質)を知り、神と私たちが罪によってどれほど引き離されているか・イエスがどのようにして私たちと神の関係を取り戻してくださったかを知り、そして自分の罪を悔い改め、神をあがめることです。その過程で私たちが神のように造り変えられていき、より良い人生を送れるようになっていくのは、聖書の二次的な目的でしかありません。
というわけで、今回は「聖書を正しく読むために[総論]」(ゴードン・D・フィー、ダグラス・スチュワート著)という本の最初の1,2章に沿って、「正確な聖書の読み方」についてお話ししたいと思います。この本は私たちが好きなように聖書を読むのではなく、なにを考慮・配慮して聖書を読むべきかの具体的な方法を教えてくれます。僕にとってこの本は、この本を読むまで自分の聖書の読み方に偏りがあったことを気づかせてくれる素晴らしい教材でした。クリスチャン生活において必須とも言える重要な書籍なので、ぜひ読まれることをおすすめします。

「読者の性質」と「聖書の性質」
私たちは神から与えられている、神のことばである聖書とどのように向き合うべきでしょうか?まず、聖書を探る前に私たちは自分たちのことについて以下の二つのことを認めなければならないことがあります。- たいていの人は読みながら、自分は読んでいることを理解しているのだと思い込んでいる
- 自分が理解している内容は、聖霊や人間の著者が意図した内容と同じであると考える傾向にある
人は読書をしているとき、理解が頭のなかでぼんやりとした霧のような物体としてあると感じます。それがあるから、人は文章を読むことを楽しむことができます。霧のような理解がない読書はすぐに退屈になります。
そしてたとえ頭のなかに霧ような理解があったあったとしても、それは明確な理解ではないことがよくあります。なぜなら、理解は受け取るだけではぼんやりと曇った画像のようなものだからです。読んでいる文章を書いた著者の意図しているもの、著者の時代背景、境遇、環境といったものを無視して、私たちは自分の予測、時代背景、境遇、環境を通して文章を読む傾向にあります。そうするとき、私たちの理解はその文章が読者に期待する理解とは異なります。
さらに著者の用いている言語が外国語であれば、その外国語の語彙の一つひとつは、日本語が持っている語彙と完全に一致することはほぼありません。たとえば日本語で「愛」という言葉があります。聖書の新約聖書はギリシャ語で書かれていますが、ギリシャ語で日本語の「愛」を意味する単語は「エロス(eros、情愛)」「フィリア(philia、友愛)」「ストルゲー(storge、家族愛)」「アガペー(agape、神の愛)」の四つがあります。ですが翻訳上、聖書には「愛」としか書かれていないことがあります。
つまり、聖書を読むときに自分の知っている知識や概念だけで読むことで、理解しているように感じるという錯覚が起こります。しかし私たちが聖書を読むときは、つねに著者の意図(AIM, Author's Intended Meaning)、時代背景、経緯などを考える、聖書の時代に自分が飛び込んでいく必要があります。そうすることによって、自分の頭のなかのぼんやりとした理解は、鮮明な画像として輪郭を帯びていきます。
「釈義」と「解釈」
以上のことを学術的な名称で言うと、「釈義」と「解釈」です。「釈義」とは、「聖書のことばのもともとの意図はなんであったのかを見出す試み」です。「解釈」とは、「聖書の著者の意図を汲み取って、現代との関連性を追及する作業」です。
まずは「釈義」について書きます。正確に聖書を読むためには、聖書の「文脈」と「内容」について考察し、著者の意図(AIM)を汲み取ることが非常に重要です。以下、釈義をするために知る必要がある事項を列記します。
文脈に関するもの
- 歴史的文脈
著者および読者の時代と文化、すなわち著者の背景に関する地理的、地形的、政治的因子。本、手紙、詩、預言的託宣、その他のジャンルの歴史的状況のこと。聖書辞典や注解書で調べることができる。 - 文献的文脈
「単語」は文章の中でだけ意味を持つということ。聖書の文章の大部分は「前後の文章との関連」においてのみ十分で明らかな意味を持つということ。文脈を読む上で、つねに著者の思考の流れをたどるように努めなければならない。
内容に関するもの
- 「内容」に関して、単語の意味、文中での単語の文法的関係、写本(手書きのもの)が他の写本とちがう場合の、もともとのテキストはなにを伝えようとしているかを明らかにする作業(読み方)が必要。
- 良い翻訳、聖書辞典、注解書は、こういった内容に関する釈義について質の良い情報を提供してくれる。
次に「解釈」についてです。ここまで書いてきたように、聖書を読むときは自分の好きなように文章を抜き出して、神のことばとして受け取るべきではありません。
聖書は自己啓発的に私たちを励まし、より良い人生を約束するものではありません(信じればお金持ちになれる、健康になれる、恋人ができる、仕事が成功する等)。この世界と私たちがどのように神によって創造され、どのように人間が神と罪によって切り離され、救い主のイエスがどのように私たちをまた神のもとに戻してくださったかを知ることによって、私たちが本来のアイデンティティを取り戻し、神が私たちにしてくださった大いなる恵みに対する感動の応答として、神をあがめるようになることが聖書の目的です。
そのため聖書を読むときは、「いまここで」から解釈をすべきではありません。聖書を解釈する上で、聖書がもともとの読者または聞き手に意味しなかったことを意味することはありえないからです。著者の意図(AIM)を汲み取り、そこから私たちに適用することが必要です。
そしてその適用の際にも、現在の世界、国、社会、コミュニティといったものに対する私たちの理解が正確かどうかを考えることはとても大切です。そうでなければ、私たちは本当の意味で聖書全体を通した神の意図(御心)を理解することはできません。
神は目的をもって、いまこの世界に私たちを置き、生かしてくれています。聖書を知り、本来の自分を知り、そして神をほめたたえる喜びを隣人に伝えていくことが、クリスチャンのもっとも重要な使命のひとつです。
翻訳の影響
最後に、先に少しだけふれましたが翻訳の重要性について書いて終わりたいと思います。以下、翻訳についての注意点です。
- 翻訳だけで聖書を読む人は、ある意味において翻訳者たちのなすがままになっている
- 翻訳者たちはもとのヘブル語またはギリシャ語の著者が本当はなにを表現しようとしていたかに関して、しばしば選択をしなければならなかった
- たった一つだけの翻訳を用いる場合の問題点は、たとえ優れた翻訳であっても、釈義上その翻訳が選択した特定のものを神のことばとして信頼することになるということである
- ベストなのは、ちがった傾向にあることが前もってわかっているいくつかの翻訳を使うこと
- どの翻訳を使うべきか、ということに関して一番はない
- ただし「これが好きだ」とか「これは読みやすい」という単純な理由で選ぶべきではない
- 本当に好きな翻訳を使うべきであり、それがもし本当に良い翻訳であるなら、読みやすいはず
- 賢い選択をするためには、各種翻訳のいくつかについて知るだけでなく、翻訳学自体がなにかについて知る必要がある
翻訳にはさまざまな種類があります。もともとの言語(ヘブライ語やギリシャ語)の単語一つひとつに相当する単語を置き換えて翻訳する「逐語翻訳」もあれば、もともとの言語の考えだけを抽出して文章を書き直す(意訳する)「自由訳」もあります。どれが良くてどれが悪いかというのは一概には言えませんが、翻訳を選ぶ上で翻訳者の傾向を知ることはとても重要です。
以上が正確な聖書の読み方をする上で大切な点です。もし興味があれば「聖書を正しく読むために[総論]」(ゴードン・D・フィー、ダグラス・スチュワート著)を読んでみてください。今回は本当に基本の基本だけですが、著書には各ジャンル(旧約聖書の物語文、書簡、福音書、黙示録)ごとにどういった読み方に注意すべきかについて細かく書いています。
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