災害と結婚関係に見る神の力

先週の日曜日は神戸にある教会で説教(聖書についてのお話)をしてきました。今回はその説教で話したことを書きながら、結婚についてもふれていきたいと思います。

先週の日曜日の説教のテーマは3月11日ということもあって「災害」。この日は聖書の一番最初の本、宇宙や私たちが住んでいる地球のはじまりについて書いている「創世記」から、「災害」を考えて行きました。
「災害」とはなにか
みなさんは「災害」ってなにか考えたことはありますか?僕は説教の原稿を書いているときに、ふと「災害」は「死」に似ていると思いました。どちらも身近にありながら現実味があまりない。それが起こるとき、それは私たちから私たちの所有しているものを奪う。
普通に考えると「災害」は起こってほしくない現象ですよね。被害を受ければ、運が悪かったと思う人もいるかもしれません。
聖書の最初の本である「創世記」には、神が宇宙と私たちが住んでいるこの地球をどのように造られたかが書かれています。宇宙はビッグバンが起こってはじまった、という話を聞いたことがある人も多いと思いますが、聖書の最初の本「創世記」の一番最初にはこう書かれています。
「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)
聖書を信じる僕はこの創造がどのようにしてはじまったのか?と考えます。もしかしたら、ビッグバンのような大きな爆発によってはじまったのかもしれません。仮にそうだとすると、神には宇宙を創造する力、自然をコントロールする力があることになります。創世記1章には、そんな創造の力を持った神が陸や海、太陽や月、私たち人間をふくむ地球に生きる生物を造られたことが書かれています。
「災害」、つまり自然の力は、この世界を造られた神によってコントロールされているとクリスチャンは考えます。私たちはその自然の力が私たちに被害を及ぼすので、「災い」あるいは「害」と呼ぶ傾向にありますが、もともとは神の偉大な力が表れたものにすぎません。
なぜ「災害」は起こるのか
ではなぜ「災害」は起こるのでしょうか?普通に考えてみると、災害が起こることに理由はありません。自然現象は理由があって起こるものではないからです。
「災害」を「災い」であり、「害」であると考え、人間中心で物事を考えているかぎりは、私たちは「災害」が起こる理由を永遠に突きとめることはできないのではないでしょうか。ですが「災害」が起こることで私たちは人間の無力さ、小ささを思い出させられます。これはある意味で、「災害」が起こるひとつの理由かもしれません。
では聖書に書かれてある神のことばはどうでしょうか?正直なところ、聖書には「災害」がなぜ起こるのかをはっきり書いている箇所はありません。創世記のノアの箱舟の場面で御怒りのために大洪水を起こされた記述はありますが、現在起こる洪水が神の御怒りだと確証するものはありません。むしろ、神は聖書全体を通して、またご自身の一人息子であるイエスを通して、ご自身の絶えることのない愛を示されています。短絡的に「災害」は「神の御怒り」であると結論づけることは、私たち人間が決めるべきことではないのかもしれません。
聖書は私たち人間中心ではなく、この世を造られた創造主である神の視点を与えてくれます。聖書という神の視点をもってしても私たちが「災害」を理解することはなかなか難しいですが、この世界を造られた神を信じ、自然をも支配するその偉大な力を認め、神の御心を求めていくほどに、神の考えていることが理解ができるようになっていくと思います。それは言葉に表せるような具体的な理解ではなく、腑に落ちるような理解に近いかもしれません。
また、神がこの世を創造されたと考えてみると、私たちが持っているものはすべて神によるものだということがわかります。私たちが着ている服、お金、家、食べ物、そういった目に見えるものだけでなく人間関係や見た目、才能、知性といったこともすべて、神がこの世界を創造することによって与えてくださらなければ、そもそものはじめからなかったものです。
「災害」とは、そういった神の偉大な力を思い出させられる機会、自分たちは「所有」しているのではなく、「与えられている」という事実を思い出す機会なのではないでしょうか。
「災害」とどのようにして生きていくべきか
まず最初に知るべきなのは、宇宙やこの世界を造られた神は私たち人間も造ったという事実です。創世記にはこう書いています。
[26]神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、(…)」[27]神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1:26-27)
もし人間が偶然の産物で、存在することに意味もなく、生きることにも目的がないのであれば、「災害」は「運が悪かった」という以外のなんでもありません。運が悪いことを悲しむことはできませんし、つらい思いを持つこともできません。
ですが人はなにかを奪われるとき、悲しみますし、とてもつらい思いを持ちます。その感情は、人間が偶然の産物以上のものであるという事実の証しとなるものではないでしょうか?
クリスチャンは人間だけに与えられた複雑な感情や理性が、私たちが神によって造られたことを示す証拠であると考えます。神が私たちに似ているのではなく、私たちが神に似ているのです。そしてその神は私たちを喜びをもって、愛がゆえに造られました。それからご自身の考え・視点・望み・お願いなどをすべて聖書に込められました。聖書を理解していくほどに、クリスチャンはこの世界を造られた神の意思を理解していくことができるのです。
もしあなたがクリスチャンでないなら、「災害」の被害を受けたとき「しょうがない」「がまん」といったあきらめによって感情にふたをするのではないでしょうか。あるいは、被害を受けたことがない人は「災害」の畏れ多さを感じることができず、自分の日常を「無関心」や「無知」といった盾で守る傾向があるのではないでしょうか。
クリスチャンはこの世界が自然をも支配する神の偉大な力によってコントロールされていることを知っています。そして「災害」だけでなく「死」といった人間にとっての最大の恐怖にも打ち勝つ力を持っている御方だということを信じています。すべてはこの世界を造られた神がみちびかれているということを信じ、それを受け入れ、それに沿って歩むこと、これがクリスチャンの人生です。
結婚への適用
さて、最後にちょっとだけ「災害」に対してのこのような聖書的考えを持っていると、結婚関係にどのように影響するのか書いてみようと思います。(もちろん説教の中では結婚については話していません。笑)
まず、神が自然をコントロールする力があるなら、人をもコントロールする力があると考えます。人が持つ理解・感情・意思、そういったものすべてが神によるのであれば、結婚相手との関係も神の力によってどうにでも変えることができます。
その神が夫と妻に、お互い相手に対してどのようにあるべきかを書いています。この命令は神によるものなので、このことばに従順に従うことによって、神は二人を良い方向へみちびいてくださると信じています。聖書にはこうあります。
[22]妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。(...)[25]夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。(エペソ人への手紙5:22, 25)
お互いが神の偉大な力を信じているので、妻は自分の感情をぶちまけるのではなく、まず夫に従うことを選び、夫は論理で説き伏せようとするのではなく、まず妻を愛することを選びます。もし神の力を信じていないなら二人は自分の考えによって相手を決めつけるしかないので、最終的にはお互いに理解し合うことができず、「しょうがない」「がまん」といったあきらめによって割り切るしかないことがあります。
実際のところ二年弱の結婚生活を通して、僕と妻はお互いの役割を理解していきました。結婚した当初僕はなぜ妻がたびたび感情的に自分のことばかりを訴えてくるのか理解に苦しみ、そのいら立ちや怒りに悩むことがありました。
しかし聖書にある神のことばを深く追い求めていくうちに、妻は「愛されたい」という気持ちを強く持っているだけなのだとわかりました。先に引用した創世記1:26-27で神が人を造られたときに、女性をそのように造られた(その他の聖書箇所も要参照)と信じることで、僕は自分の「論理で説き伏せたい」という願望を差し置いて、「妻をどのように愛せるか」と前向きな態度に変えることができました。これは逆の立場でも同じです(「どうして正論ばかり言って私を愛してくれないの?」→「まずは夫の言っていることに従おう」)。
そして神に従う結婚の美しさは、一方だけでなく双方が同様の態度を取ることで本当に素晴らしいものになります。妻は僕のそのような態度を当たり前のように受け取るのではなく、夫の神を信じる信仰による従順さを見て自分自身の態度も低めるようになります。そのようにしてクリスチャンの夫婦は、お互いに相手に仕え合うような関係になります。
「あなたがたに新しい戒を与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネの福音書13:34)
私たち夫婦が素晴らしいので、結婚関係が素晴らしいのではありません。まず先に神がへりくだってそのような愛を模範として示してくださったので、私たちは神の戒めに従順に従うことができ、そのお互いの信仰が結婚関係を素晴らしいものに変えていってくれるのです。これが、クリスチャンが信じる神の力です。
神は先にどのような愛を示してくださったのか?もしご興味があれば聖書を開いてみてください。質問などあれば、ぜひ私たちに聞いてください。
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