「福音を伝道する」
こんにちは。夫です。
今日は「福音を伝道する」ことについて書きます。「福音を伝道する」とは、簡単に言うとクリスチャンが信じている聖書をほかの人にも教えることです。そして聖書を通して知ることができる神、イエス・キリストを信じるよう人々を招き、洗礼を授けることを目的としています。
「福音伝道」はクリスチャンのライフスタイルの一環です。祈ることや聖書を読むこと、日曜日に教会に行って礼拝し、奉仕し、献金するのと同じように、聖書を信じるクリスチャンはまわりの人たちに福音を伝えます。マタイの福音書には「大宣教命令」がこのように書かれています。
マタイの福音書28:19-20
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」
クリスチャンは神であるイエス・キリストからこの福音伝道の使命を受けています。ですが「福音を伝道する」とは、実際にはどのようなものなのでしょうか?
「福音を伝道する」とは
実はこれ、クリスチャンでもよく勘違いをするところです。福音伝道をそのまま文字通りに取って、クリスチャンでない人に無理やり学ばせようとしても、それは本当の意味での福音伝道ではありません。その理由を以下に見ていきましょう。
先日僕は素晴らしい機会を与えられ、教会の人たちに「福音を伝道する」ための教会のツールの用い方を教えました。教会には「クリスチャンでない人を信仰にみちびく」ことを目的につくられた「ファースト・ステップ」、「クリスチャンの人が基本的な信仰生活を学ぶ」ことを目的につくられた「ネクスト・ステップ」という二つの教材があります。(どなたでもご自由にお使いください)
「ファースト・ステップ」では(1)クリスチャンが信じる神はどういった神か?(2)イエス・キリストとはどういった人物か?(3)福音とはなにか?(4)聖書にはなにが書かれているか?そして(5)クリスチャンとはどういった人たちか?について学ぶことができます。
「ネクスト・ステップ」では「キリストの弟子となる」「愛」「祈り」「聖書」「礼拝」「教会」「献金」「家族」「奉仕」「勤勉」「霊的な攻撃」「いのち」といった、クリスチャンとして押さえておくべき教理の基本を学ぶことができます。
「ネクスト・ステップ」の各ステップは「神のことば」と「神の使命」に分かれており、後半の部分は「神のことば」で学んだことを活かして、クリスチャンでない人たちと「ファースト・ステップ」をはじめようというクリスチャンの使命を促しています。そのようにして洗礼を授け、クリスチャンになる人が増えていきます。
このセミナーで、僕はとくに「福音を伝道する」ためのツール「ファースト・ステップ」について詳しく説明していました。その途中で、ただ単に「ファースト・ステップ」を使うことは十分でないことを伝えました。
たとえば、あなたは街を歩いていて新しいレストランを発見しました。そこに入ると、内装は洗練されていて、料理はおいしく、給仕のサービスも最高でした。翌日、職場の同僚に偶然発見したこの新しいレストランのことをあなたは伝えたいと思いますか?おいしい食事にかぎらず、あなたが「素晴らしい経験」をしたとき、それをだれかに伝えたいと思いませんか?
「福音を伝道する」こともそれと同じです。「福音」とは、神が人としてこの世に来られ、私たちを罪から救うために十字架に掛けられ、三日後によみがえったこと、そして復活したイエスを信じることで救われるという知らせです。
反対に言うと、この「福音」を頭ではなく心で理解し、味わい、信じることができていないうちは福音伝道をすることが難しく感じられます。だれも入ったことのないレストランの前にあるメニューだけを見て、料理のあじわい深さやウェイター・ウェイトレスのサービスの素晴らしさを表現することはなかなかできませんよね。
じゃあ、「私はレストランに行ったことがないから友達に言わない(福音を伝道しない)」あるいは「私はあのレストランに感動したから友達に言いふらしまくる!(福音を伝道しまくる)」と考えるのはどうでしょうか?
大切なのはバランスです。
友達に言わない(福音を伝道しない)ということは神さまの命令に背いていることになります。でも反対に友達に言いふらしまくる(福音を伝道しまくる)ことも、あのレストランで経験した感動が薄れていき、肝心な感覚を忘れてうまく伝えられないものです。
だからあのレストランに何度も戻って、レストランの感動を何度も思い出し(聖書を学び信じる)、そして友達にいかにあのレストランが素晴らしいか(聖書の教えがいかに自分にとって素晴らしいものか)を伝えることが、福音を伝道する鍵になるのです。
あなたの友人があなたによって説得されるのは、あなた自身の人柄・信頼性・伝え方のおかげです。言葉だけで説得される人はほとんどいません。みんな、あなたの伝えているときの表情や気持ちを見て、「自分もそのレストランに行ってみたいな(聖書のことをもっと知ってみたいな)」と思うのです。
結局、「ファースト・ステップ」というツールは、あなた自身の人柄・信頼性・伝え方を伝達するためのツールにすぎないということです。なのでツールを利用するためにツールを用いるべきではありません。トンカチは「叩く」ことそれ自体のために存在するのではなく、それを用いて釘を打つことを目的に存在するのです。
福音の学びは一生かかる
たびたびこう思っている人に出会います。「私は聖書のエキスパートじゃないから、教えられない」もしあなたがレストランの味やらサービスやら厨房やら経営のことやらすべてを知らなければ友達に教えられないと考えているなら、そしてそういった人ばかりなら、そのレストランは商売にならず潰れてしまいます。「まちがったことを教えてしまいそうで恐い」と考える人も同じです。あなたはレストランの素晴らしさを完ぺきに伝える必要はないのです。というより、伝えることは不可能です。それよりも友達に「いっしょにレストランに行ってみよう(教会に行ってみよう)」と誘ったり、「あ、私が前に言ったことはちょっとちがうね」とまちがいを認め、いっしょにレストランの素晴らしさを経験するほうが大事です。人それぞれ感じ方はちがいます。
聖書はこの世を造られた神、そしてこの世に遣わされ人となられたイエス・キリストについて書かれてある物語です。神から来ているこの書物の深さを、真に理解できる人間はいません。これは、一生かけて学んでいける本なのです。
また、「教える」という行動は聖書のことを理解する上でもっとも重要な行動です。「ラーニング・ピラミッド」というのはご存知ですか?

学習効果(定着率)をもっとも高めるためには、「教える」ことはもっとも良い方法です。だからこそ、僕が属する教会では「神の使命」に大きな重点を置いています。(「ラーニング・ピラミッド」も詳細についてはこちらをお読みください)
正直なところ、「福音を伝道する」ことにはさまざまな障害があります。「教えられるかどうか不安」という心の障害であったり、「まわりに福音を伝えられそうな人がいない」という環境の障害であったりします。ですが、あなたがいまそこにいることは、あなたが選んでいる・強制されたにかかわらず、神さまがみちびかれたことです。あなたがまさにいまこのブログを読んでいる場所にいることについて、神さまはあなたにどう言っていますか?
顔を上げてまわりを見てください。家族、友達、仕事先の人、仲間、電車で偶然乗り合わせた人たち。私たちは「できない」という障害の壁を自分の前に立てておくべきではありません。神さまはあなたを通して、ご自身のことをあなたの隣人に伝えたいと思っています。あなたが神さまの御業をはばむ障害とならないように祈りましょう。
マタイの福音書19:26
「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
「信じる」ことからすべてははじまります。
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