新しいライフスタイルとしてのクリスチャニティ①


どうも、夫です。


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さて、今日から何回かに分けて「新しいライフスタイルとしてのクリスチャニティ(キリスト教)」について話したいと思います。

東アジアの隅っこのぷっかり浮いた島である日本で、なぜ西洋文化のキリスト教を僕たち夫婦は信じているのか?それには深いわけがあります。このテーマではそのわけについてできるだけ簡潔に、そして長々と(矛盾?)書いてみたいと思います。


"クリスチャニティ"という新しいライフスタイル

まず最初に、僕たち夫婦はクリスチャンであることを自分たちでどう考えているか?

夫である僕は2012年4月に、妻は2014年10月に洗礼を受けてクリスチャンになりました。二人ともクリスチャンの家庭で育ったわけではありません。僕の両親は熱心な日蓮宗家系(プラス神道)ですし、妻のお母さんは浄土宗でお父さんは天理教です。

僕たちはクリスチャンであることを、「とても美しい」と思っています。人間が生きることにおいてもっとも適切な生き方を学び、苦しみながらも日々自分の悔い改めるべき点をふり返り、そして自分の力だけでは変われない助けを、祈りを通してこの世を造られた神にお願いします。僕たちはこのライフスタイルを、「とても美しい」という形容以外にみつけることができません。

そしてその美しさを、自分たちから来たもの、自分たちの努力の功績だと思っていません。より良い人生を生きているから他人より素晴らしいとか、より幸福を感じているから不幸な人たちを見下すとか、そういった気持ちはありません。なぜならこの美しさは自分たちで得たものではなく、神さまから与えられたものだと信じているからです。

キリスト教を西洋の宗教と考えている人もいるかもしれません。たしかにキリスト教を信じている人は西洋に多いですが、もともとの発端であるイエス・キリストは中東で生まれたユダヤ人です。イエスの教えの性質上、キリスト教は全世界に広がり、すべての民族や国を超えて信じられています。もちろん、日本にも同じです。

なぜ全世界に広まったのか?それはイエスの教えがすべての人間が信じるべき大切なものを指摘しているからです。それは人間が生きる上で、なによりもまずきちんと理解して、人生の礎にすべき事柄です。残念ながら日本人の人たちにはこの教えはあまりに異国的で、日本文化になじみませんでした。

僕も六年前にはじめてキリスト教の話を聞いたときは、「宗教は自分に必要ない」と思っていました。どれだけクリスチャンの人の話を聞いても、自分にはあまりにもかけ離れたものにしか感じられませんでした。僕が洗礼を受けてクリスチャンになることを決心した経緯はまたべつの機会に書きますが、クリスチャンになって何年も経ったいま、それは僕の人生になくてはならないものになりました。

いま、クリスチャンとして僕が感じるのは、僕は「キリスト教」という「宗教」を信じているのではないということです。外から見る人には僕はそうみえるかもしれません。ですが僕が感じているのは、自分の奥深くに最初から据え置かれている、もともとデザインされた自己が外に現れる過程です。そこには僕が以前思っていたような宗教的な要素はありませんでした。

これは信念を、変わりやすい世の中に合わせるのではなく、聖書という神の御言葉を通してみつめる原来の自己に合わせることです。この原来の自己とは、神が造った本来の「私」です。クリスチャンの人生は、生涯を通してその「私」になろうとする努力とその努力の美しさをまわりの人たちにも伝えていく人生です。

なので僕は自分では「キリスト教」という「宗教」を信じていません。僕はむしろ"クリスチャニティ"という呼び方をして、新しいライフスタイルにしています。


朝目覚め、いのちが与えられていることに感謝の祈りを捧げ、今日この日が神の愛の知られる素晴らしい一日になることを願い、すべての人に対して神が自分に望むような接し方をする。自分が素晴らしいのではなく、この世を造られた神があまりにも素晴らしすぎるゆえに、私たちクリスチャンは自分を小さくして、神と共にいる喜びをほめ讃えるのです。


「兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一5:14-18)


神を信じる者にとっても、美しいライフスタイルを求める人にとっても、クリスチャンの信仰生活は神が働いてくださるというただそれだけで、とても美しくみえます。


今日はとりあえずここまで。
次回をお楽しみに。




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